黒塚古墳
■天理市立黒塚古墳展示館
・黒塚古墳の復元竪穴式石室
黒塚古墳の後円部竪穴式石室を実物大で復元した石室である。
発掘調査では石室上部の石材が石室内に崩れ落ちた状態で出土したが、ここでは崩れ落ちた石材をすべて取り除いた状態を復元している。
竪穴式石室は南北方向に主軸をとる。
現在の頂上から約2mの深さに作られている。
発掘調査により、盗掘や地震によって散乱していた石材や土砂を取り除いた。
竪穴式石室は、後円部のほぼ中央にあり、長さ約8.3m、幅約0.9〜1.3mの規模で、南端付近での高さは約1.7mの長大な石室である。
中央に赤く染まっているのが、竪穴式石室の内部におかれた粘土棺床である。
この上に長さ6.2m、直径1mを超えるクワの巨木で作られた割竹形木棺が置かれたが、すべて腐り残っていない。
竪穴式石室の周囲には、石室の構造を支えるための裏込石が集積され、さらにこの石の上を粘土で被覆している。
壁面の上位は二上山南麓で産出する板石が積み上げられていた。
石室の床面には木棺を支えた粘土棺床があった。

・石室の南側
竪穴式石室の南側が破壊を免れていた。
石室は床面からの高さが約 1.7 m あり、両側壁が天井部で重なる合掌形の構造である。
大和(おおやまと)古墳群でも初期に築造された竪穴式石室に採用されたが、石室構造が不安定であるため類例は少ない。
石室の下部は 3〜4 段を川原石で構築し、上部は板石を強く持ち送る。
川原石にはベンガラが塗布され石室内の荘厳を醸している。

・木棺の中におかれた画文帯神獣鏡
この鏡は、中国で製作され、3世紀ごろに我が国に輸入されたと考えられます。
鏡の背面には、四神と四獣が表現され、上の神像は琴の名手である伯牙、左右の神像は西王母と東王父と思われます。
これらの神々は、古代中国の神仙思想につらなり、ここに葬られた墓主は不死不死をこの鏡に託したのでしょう。

・竪穴式石室の崩落状況
地震で崩壊した竪穴式石室である。
写真の中央が石室の空間部分にあたるが、ここには左右の両壁から滑り落ちた板石が空間を満たしていた。
これにより、板石の直下にあった鏡などの副葬品は盗掘から免れたのである。
地震は古墳が作られてから程なく発生したようで、強い揺れは石室以外の場所でも影響が観察された。

・古代の鏡
日本列島から出土する古代の鏡はほとんどが青銅鏡である。
青銅鏡の主原料は銅・錫・鉛の三つである。
出土時は青緑色に錆びていることが多いが、鋳造当初は銀白色ないし金色に輝いていた。
古墳時代の銅鏡に限定すると、鏡の周縁の形状により平縁と三角縁に分類することができる。
さらに文様面の検討により、方格規矩鏡・内行花文鏡・画文帯神獣鏡・獣帯鏡・神獣鏡など、多くの種類が存在することが明らかになっている。
・鏡の銘文
神像や獣像の周囲には銘文が記されている。
吉祥句である「天王日月」を記すものや、製作者と鏡をほめたたえるもの、神仙郷の神々を語るもの、鏡を持つことによって長寿や子孫繁栄につながることを述べるものがある。
黒塚古墳では出土していないが、年号を記した鏡をとくに「紀年銘鏡」と呼ぶ。
三角縁神獣鏡では景初三年(239年)、正始元年(240年)鏡などが知られている。
この年代は邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢し、魏より「銅鏡百枚」を賜った時期であり、三角縁神獣鏡は「銅鏡百枚」の候補となっている。
・「銅出徐州」と「師出洛陽」
3号鏡・22号鏡・32号鏡には、銅の産地や鏡工人の出自にかかわる銘文がみられる。
例えば3号鏡の銘文には
新作明竟 幽律三剛 配徳君子 清
而且明 銅出徐州 師出洛陽 彫文刻鏤 皆作文
章 取者大吉宜子孫」
とあり、銅が徐州で産出したこと、工人が洛陽の出であることをうたう。
徐州は現在の山東省南部から江蘇省付近とされ、洛陽は魏の都であった。
こうしたことから三角縁神獣鏡の製作地を魏に求める有力な根拠とされてきた。
・画文帯神獣鏡
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)は、棺内の頭部付近に文様を南に向けて立った状態で1面のみ出土した直径 13.5 cm の小さな鏡である。
33面の三角縁神獣鏡がいずれも棺外にあったのとは異なる取り扱いがされたことがうかがえる。
この鏡式は中国の後漢末から三国時代にかけて盛んに製作され、日本列島にもたらされた。
三人の神仙のうち、両手の裾をたくし上げて膝に琴を置いているのが、琴の名手である伯牙とみられる。
左右の神仙は東王父と西王母であろう。文様の外側には「吾作明竟自 有紀□□公宜子」の銘文がある。

・三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は、縁の断面が三角形に立ち上がり、神像と獣像が表現された銅鏡である。
3〜4世紀の日本列島で最も流行し、現在までに550面以上が確認されている。
一つの古墳からの出土数は1〜5面程度がほとんどだが、その地域を代表するような大型の前方後円墳が目立つ。
10面以上副葬していた古墳は、岡山県備前車塚古墳、奈良県佐味田宝塚古墳、桜井茶臼山古墳などに限られる。
























