岡山・島根ドライブ 山代・大庭古墳群

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■山代二子塚古墳(やましろふたごづかこふん)
山代二子塚古墳は前方後方墳という形で島根県最大の古墳です。
造られた時代は古墳時代後期(西暦500年代中ごろ)で、出雲東部を治めた王の墓と考えられます。
古墳は94mの規模をもち、周りには幅7mほどの堀がめぐり、その外周には堤があります。
この堤まで含めた全体の大きさは150mにもなります。
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後方部は幅53m、高さ9.5mの規模があります。
山代二子塚古墳の後方部は、今から100年ほど前に削られたため、元の形に復元しました。
内部は土を盛ったようすがわかるように展示室としています。
この中央北側に亡くなった王を葬った石の部屋があります。
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・山代二子塚土層見学室
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山代二子塚の土層断面です。
これは復元したものではなく、古墳がつくられた6世紀後半のものがそのまま展示してあります。
土層には、黒い土と黄色い土があるのがわかります。
山代二子塚は、この黒い土と黄色い土を交互に盛ってつくられています。
このような盛り方をしたのは、水の浸透率の異なる土を利用することで墳丘を崩れにくくするためだと考えられています。
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山代二子塚のまわりには大きな空堀(からぼり)と堤(つつみ)が廻らされ、堤を含めた総延長は150mに達します。
古墳本体は2段に造られ、上段の斜面には石を並べ、古墳の上にはさまざまな埴輪(はにわ)や土器が置かれていました。

山代二子塚古墳の調査で最も大きな成果は、この土層断面に表れた団子状(だんごじょう)のブロックです。
古墳を造る人々が少しずつ土を盛り上げたようすがよくわかります。
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島根県では4世紀から有力者を葬るための古墳が造られ始めます。
全国的には前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)や円墳など丸い形を基本とした古墳がたくさん造られますが、
奈良時代に書かれた「出雲国風土記(いずものくにふどき)」に「意宇郡(おうぐん)」として記される東部出雲の松江市や安来市などの地域では前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)や方墳が多く造られました。

この地域に四角形を基本とした古墳が多いのは、
このあたりを治めた豪族が代々四角い形の古墳を造る伝統があったからだという説と、
ヤマト政権の規制によって前方後円墳を造ることができなかったとみる説があります。

古墳の大きさから、6世紀後半に造られた出雲東部の山代二子塚(やましろふたごづか)と出雲西部の今市大念寺古墳(いまいちだいねんじこふん)(出雲市)が出雲地方を代表する2大豪族の墓であったと考えられます。
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・前方部から後方部
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・前方部
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・後方部
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■山代方墳(やましろほうふん)
山代方墳は、7世紀初頭に築かれた大型の方墳です。
隣接する山代二子塚や大庭鶏塚などとともに山代・大庭古墳群を構成しており、山代二子塚の次代の首長の墓と考えられています。
墳丘規模は、東西が45m、南北が43mで、2段につくられています。
墳丘周辺には、幅14mの大規模な周溝がめぐり、さらにその外側に周堤が存在したと考えられています。
こうした構造をもつ精美で大型の方墳は、当時の畿内の最有力クラスの古墳にみられます。
中央政権の有力者・蘇我氏との関わりも想定されています。

埋葬施設は、石棺式石室と呼ばれる出雲東部独自のもので、大きな切石を組み合わせてつくられています。
古くから開口していて、何が副葬されていたかは不明です。
1992年に周溝の一部が発掘調査され、円筒埴輪とともに、出雲型子持壺と呼ばれる、出雲独自の儀式に使った土器が多数出土しています。
6世紀後半の出雲では、山代・大庭古墳群と、出雲市塩冶町付近に大型古墳が集中して築かれており、出雲の東西にそれぞれ中心的な勢力があったと考えられています。
しかし、続く6世紀末から7世紀前半にかけては、山代方墳のような大型古墳は出雲では他にみられません。
このため、山代方墳の被葬者は出雲全体を統括する最初の首長であった可能性が高いと考えられます。
このように、山代方墳は出雲の古墳時代を考えるうえで、欠く事のできない極めて重要な古墳といえます。
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山代方墳(やましろほうふん)の石棺式石室(せっかんしきせきしつ)
山代方墳の石室は、石棺式石室と呼ばれている。
これは、石室の壁・天井・床が、それぞれきれいに加工された1枚の切石によって構成される石室で、天井は家形にきれいに加工され、
入口には閉塞石を受けるくり込みがつくられている。また石室内部には、遺体をおくための石製のベッドがおかれている。

このような石室は、九州地方の家形石棺をモデルとして、この地域で独自の発展をしたもので、
6世紀後半から7世紀前半にかけて、出雲東部の有力な首長墓用の埋葬施設として流行した。出雲型子持壺や前方後方墳とともに、全国的にも異彩を放つ個性的な出雲の後期古墳文化を代表するものの一つである。
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