宇陀 菟田野

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神武天皇の即位前後の出来事の舞台のひとつが宇陀。
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エウカシとオトウカシの物語
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■菟田下県(うだのしもつあがた)の穿邑(うかちのむら)
神武天皇一行は、八咫烏の導きによって、吉野を経て女寄峠を越え、宇陀へ入ってきます。
神武天皇一行が着いた菟田下県には、エウカシとオトウカシ(『古事記』では兄宇迦斯、弟宇迦斯、『日本書紀』では兄滑、弟滑)という豪族がいました。

神武天皇は、八咫烏をエウカシ・オトウカシの所へ派遣して、服従するように伝えたところ、オトウカシは、この命令にすぐに従ったとあります。
一方、エウカシは鳴(なり)鏑(かぶら)という矢を射って八咫烏を追い返し、反撃の軍を編成しようとしましたが、人数が集まらず、神武天皇に従うと偽りました。
いきなり、宇陀へやって来て「従え!」とは少々、乱暴な行動ですが、菟田(うだ)は神武天皇の勢力下に入ることとなりました。

・神武天皇聖跡菟田穿邑顕彰碑
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■「大殿」と「菟田の血原」
神武天皇に反抗的なエウカシは、大殿(おおとの)という大きな建物を建てて、その中に押機(おし)という罠をつくりました。
ここに神武天皇一行を誘き寄せようと考えたのです。
この神武天皇討伐計画がオトウカシの知るところとなり、オトウカシは、この計画を神武天皇に伝えました。

神武天皇に仕える道臣命(みちのおみみのこと)、大久米命(おおくめのみこと)は、エウカシを呼び出し、
「お前が造ったこの大殿に先に入って、神武天皇にお仕えするという証拠を見せよ。」などと言って、大刀や弓などの武器で脅してエウカシを大殿の中へと押し入れました。
エウカシが大殿へ入った途端、押機という罠が天井から落ちてきて、彼は押しつぶされて亡くなってしまいました。
自分で作った罠に自分自身が押しつぶされるという不幸な出来事となってしまったのです。
まだ、エウカシの不幸は続きます。あまり気持ちの良い話ではありませんが、彼の遺体は引きずり出され、切り刻まれてしまいました。
彼の血は流れ、周辺を赤く染めてしまい、血であかくなったところが「菟田の血原」と呼ばれるようになったと言われています。
赤く染まった血原、この地域でとれた水銀との関係が考えられます。

エウカシが建てたという「大殿」や彼の血が流れた「菟田の血原」は、どのあたりとすれば良いのでしょうか。
実は、菟田野宇賀志に「ヲドノ」という小字があり、そこに「大殿」があったとされています。
また、この下には宇賀志川が流れており、このあたりが「菟田の血原」だったと考えられています。
この宇賀志川には、血原橋が架かり、その橋には宇賀志神を祭神とする宇賀神社が鎮座しています。

・大殿と菟田の血原
(丘のあたりが大殿。電柱裏の建物あたりが血原)
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・小字「ヲドノ」
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・血原橋
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・宇賀神社(血原)
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■菟田(宇陀)の高城
神武天皇に味方したオトウカシ、天皇に仕えるしるしとして一行に御馳走を振る舞い、大宴会が催されました。
この宴席で神武天皇は、久米歌を歌いました。久米歌とは、久米部という軍事的な集団が戦いの前後の酒宴で歌った歌謡とされています。

久米歌
『古事記』
宇陀の 高城に 鴫網張る 我が待つや 鴫は障らず
いすくはし くじら障る 前妻が 肴乞さば 立柧橋の
實の無けくを こきしひぬね 後妻が 肴乞さば 榪
實の多けくを こきだひねね ええしやごしや 此は嘲咲態ぞ
ああ しやごしや 此は嘲笑ふぞ

『日本書紀』
菟田の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず
いすくはし 鷹等障り 前妻が 肴乞さば 立柧柁の
實の無けくを 幾多削ゑね 後妻が 肴乞さば 禮賢木
實の多けくを 幾多削ゑね

『現代語訳』
菟田の高城に鴫をとる罠を張って、俺が待っていると、鴫はかからず、クジラがかかった。
(これは大獲物だ。)古女房が獲物をくれと言ったら、痩せたソバの木のような中身の無い所をうんと削ってやれ。
若女房が獲物をくれと言ったら、榁のような中身の多いところをうんと削ってやれ。


菟田(宇陀)の「高城」とは、近世(江戸時代)のお城のようなものではなく、もう少し簡単な構造なのでしょう。
由来については、単に「高いところにある城」とする説と、実際の宇陀の地名に由来する説とがあります。
ここには「高かき」という小字があることから「菟田(宇陀)の高城」の有力な候補地となっています。

「神武天皇御征征菟田高城」の石碑は、明治三十三年(一八九九)に治外法権撤廃の改正条約の実施を記念して建てられたものです。
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■八ツ房杉(櫻實神社)
神武天皇が大和平定の際、菟田の高城に陣営を張られた時に植えられたものと伝えられる杉の巨木です。
八ツ房杉とは、八幹からなる意味で大小八ツの幹が巨大な株状を成しています。
樹形は、極めて奇態、ひとつの株から伸びた八本の幹が互いにからみ合い、ある幹は途中で一本になり、再び分かれるといった極めてめずらしく目をひきます。
樹皮は、普通のスギと異なり、美しい赤色をしており、枝は大きく天をおおっています。
根元の周囲約九m、樹高は約十四m。
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■オトウカシその後
神武天皇の側近となり、大宴会以降も協力。
この後も戦いは繰り広げられ、ようやく国中を平定することができました。

神武天皇は、功績のあった者に論功行賞を与えます。
『日本書紀』には、「弟猾(おとうかし)には、猛田県(たけだのむら)を賜ふ。因りて猛田県主(たけだのあがたぬし)とす。星瓶田主水部(うだのもひとりべ)が遠祖(とおつおや)なり。」とあります。
神武天皇の側近として活躍したオトウカシには、猛田県(たけだのむら)を与え、猛田県主(たけだのあがたぬし)としたのです。
では、猛田とは、どこなのでしょうか。
本来、猛田県(宇陀県)、猛田県主(宇陀県主)であったものが、筆写の過程で「犭(けものへん)」が加えられ、「猛」となったと考えられています。
オトウカシは、これまでの地盤も引き継ぎ、兎田(宇陀)県主に就任し、現在の菟田野、榛原、大宇陀の各地区をおさめることとなったのです。

また、オトウカシは、兎田県主水部(うだのもひとりべ)の先祖であったことが記されています。
水部とは、王権に氷・氷を調達することを主な仕事としている集団で、特に夏の氷は、珍品として貴重なものでした。
彼が本拠とした兎田(宇陀)には、氷室(氷や雪を貯蔵する冷温貯蔵施設)が残り、水の神様・宇太水分神社があります。
このように兎田県主・オトウカシが水部の先祖であったことを知る手がかりを今も見ることができます。

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