岡山・島根ドライブ 安芸高田市歴史民俗博物館

in #layback14 days ago

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■毛利元就公 銅像
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■亀形須恵器
[有形文化財 埋蔵文化財 個人蔵]

一ツ町古墳出土の装飾須恵器です。
一般的な平瓶の胴上半分を亀甲に模し、頭に足を付け全体を亀に見立てたものです。
制作時期は7世紀前半とみられています。
全国で亀形の須恵器は本例を含め2例で、平瓶形は本例が唯一のものです。
その造形的特殊性や希少価値は極めて高いものといえます。
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■鳥形土師器
新宮遺跡群にある丘陵東側斜面から検出された土坑内から出土した、水鳥を模した土師器です。
高杯にみられるような脚部があり、制作時期は6世紀後半から7世紀前半頃とみられています。比較的多い須恵器の鳥型瓶に対し、土師器のものは全国に数例しかなく、その中でも造形が写実的なものとしては唯一のものといわれています。
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■国史跡 甲立古墳(こうたちこふん)
4世紀後半 前方後円墳 墳長77.5m
前方部2段・後円部3段築成

平成20年に発見され、その後の発掘調査により後円部墳頂から家形埴輪5基が一列に並ぶ石敷区画や外周に巡らされた円筒埴輪など、重要な遺構や埴輪が確認されました。

極めて保存状態の良い墳丘、精巧な作りの家形埴輪や円筒埴輪等の配列などから、築造には畿内地域の勢力が深く関わっていたと考えられます。
またこの古墳が瀬戸内海と日本海を結ぶ内陸部に造られたことは、当時の大和政権の対外政策や国内経営の一端を読み取ることができる古墳として評価されています。

・1号家形埴輪
石敷区画の北側に配置されていました。
2間×2間の切妻造高床式建物を模した埴輪で、
屋根には破風板、棟木、壁体部の角柱と板壁など立体的に表現されています。

内部には中抜きの床が貼り付けられ、妻側の一箇所に設けられた戸口の内側には扉の軸穴が穿たれるなど極めて写実的です。
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・2号家形埴輪
石敷区画の1・3号家形埴輪間に配置されていました。
埴輪全体のおよそ8割が残存していました。
2間×2間の切妻造高床式建物を模した埴輪で、柱間は窓状に大きく開かれた吹き出しの構造をしています。

保存状態が良く立体的な表現とともに、
屋根の網代、妻壁の棟持柱や斗束、角柱に描かれた鍵手文などの線刻がよく観察できます。
器壁が薄く、極めて精緻な作りであることから、製作者の高度な技術がうかがえます。
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・円筒埴輪
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・朝顔形円筒埴輪
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■郡山城跡西谷地点の調査
遺跡は、郡山城跡の西谷に造られた郭群の一角にあたります。
調査によって石垣・郭跡・鍛冶屋敷・郭造成の版築土層などの遺構が確認され、
少量の土器陶磁器片、鍛冶が周辺から鉄滓、鉄釘などが出土しています。

この土層は版築面に樹脂を塗り剥ぎ取ったものです。
当時の人々が何度も突き固めて郭面を造成していったことがうかがえます。
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■芸州郡山城之絵図
城下町を基盤目状ではなく、「L」字状の家並としています。
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■打刀(うちがたな)
文明18年(1486) 清神社蔵

元就寄進と伝わる清神社(すがじんじゃ)の打刀です。
表裏にそれぞれ次の銘を刻んでいます。
表銘「備州長船経家作」
裏銘「文明十八年二月 日」
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■軍幟(ぐんし)(複製)
戦国時代 原本:毛利博物館蔵

元就が軍の標識として用いた流れ旗で、毛利博物館に3流(ながれ)が伝存します。
元は長い旗でしたが、現在では頭端(とうたん)部分のみが残ります。
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■毛利元就書状
天文24年? 7月10日

備後国の国人領主楢崎信景に宛てた書状です。
「大田祝言(おおたしゅうげん)」とは、
元就の末子才菊丸(元総、後の小早川秀包)が備後国の大田兵部大輔の跡を相続することと推測されます。
相続に関して、所領が近接する楢崎氏に事前の了解を求め、
楢崎氏側の要求は間に立った口羽通良(くちばみちよし)が対応することを知らせたものです。
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■毛利氏の領地変遷図
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■毛利元就御座備図
江戸後期〜明治

毛利元就を上部中心に据え、右下に長男隆元、左に孫輝元、そして吉川元春、宍戸隆家(名前が剥がれている)、小早川隆景が並びます。
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■農家
かつて安芸高田地域の一般的な農家は、茅葺や藁葺屋根で、間取りはいわゆる「田」の字型をしていました。
座敷の間仕切りは襖や障子であったため、これを取り払うと大きな一つの空間ができます。
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美土里町から見たキノコ雲
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