福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館
■遺構展示室
遺構展示室では、当博物館建設時の発掘調査で見つかった戦国時代の遺構を、掘り出したままの姿で公開しています。
展示範囲の大部分は南から北へ流れていた川の跡にあたり、遺構はその上につくられています。
川底の深い部分が埋まった頃に石敷遺構[A]、川の大半が埋まった頃に水路[B]、さらに土砂が積み重なり、川が完全に埋まった頃に水路[C]がつくられました。
つくられた時期は[A]と[B]が戦国時代で、展示範囲外の砂利敷面[D]や大溝[E]も同じ頃と考えられます。
[C]や展示範囲外の井戸[F]は江戸時代のもので、付近ではほかにも同時期の遺構が多数見つかっています。
この石敷遺構のように、出土した遺構そのものを公開する「露出展示」は、一乗谷朝倉氏遺跡における一般的な展示方法ですが、屋内ではこれがはじめての試みです。
屋内は野外のように日光や風雨にさらされることはないものの、雨水の供給が断たれるため水分蒸発が卓越し、地表面の乾燥が進みやすくなります。
土は乾くと崩れやすくなるほか、地中に含まれる塩が水分の蒸発とともに地表に現れて結晶化し、遺構の汚れや破壊を引き起こします。
一方で、蒸発を防ぐために室内の湿度を高くすると、カビやコケが生える原因となり、不衛生で観覧に支障をきたすことになります。
このような問題を解決する決定的な対策はまだ見つかっていません。
そのため遺構展示室では、地下水の高さや土に含まれる水分量などの変化を観測し、そのデータをもとに遺構の保存と公開を両立させる最善の方法を日々検討しています。

石敷遺構は長さ38m、幅5.6mの大規模な施設です。
下部が埋まって浅くなった川を横断するように土が盛られ、その上に大量の川原石が敷きつめられています。
注目されるのは、両端付近と中央部に溝があること、南側が一段低い平坦面となっていることです。
ここを船着場とみれば、溝は水位を調節するため、低い平坦面は荷を積み下ろしする時の足場と考えることができます。
一方、この平坦面の縁の石積みがそれほど強固でないことや、舟をつなぎ止める杭などの設備が見つかっていないことなどから、船着場ではなく、別の用途を想定する意見もあります。
もうひとつは道路とする説です。大量の川原石は、ぬかるんだ湿地になっていた川跡を渡るため、足元を固める目的で敷かれたと考えられます。また、西方にある「経堂」の伝承地との関係が注目されます。

石敷遺構やその周辺からは、戦国時代にここで何が行われていたのかを示す決定的な証拠は見つかっていません。
しかし、手がかりとなる遺物が石敷遺構中央部の溝から出土しています。「さし銭」です。
「さし銭」とは100枚前後の銭に紐を通して一単位とし、1さし100文として通用させたものです。
ここでは、溝に落ち込んだ石に挟まれた状態で少なくとも2さし分が確認できました。
当時の銭2さしは現在のお金の価値にすると2〜3万円くらいになると考えられます。
品物の売買のため大量の銭を運んできた商人が落としていったものかもしれません。

■常設展示
・備蓄銭
復原町並南側の武家屋敷において、井戸跡からまとまって出土しました。
一乗谷の滅亡時点で投げ込まれたものとみられます。
全部で16,431枚を数え、一括で見つかったものとしては一乗谷で最多の枚数です。

・石鬼(一乗谷城山の千畳敷出土)(笏谷石(しゃくだにいし)製)

・神を祀る
一乗谷には、朝倉氏の氏神である赤淵神社や、熊野・春日・八幡神社などが建立されていました。
上城戸周辺の発掘調査では、神社に祀られていた御神体と考えられる大型の鏡や、笏谷石製狛犬が出土しました。

・石仏(千手観音菩薩立像)
一族の武将の朝倉景頼が願主となって造立した千手観音の石仏です。
元亀4年(1573)3月11日の日付が彫られており、同様の銘文が刻まれた石仏が、一乗谷周辺に複数残されています。
この日付は、織田信長との戦いのため朝倉軍が敦賀に出陣した日であり、戦勝祈願として造られた可能性があります。
銘文
願主 景頼
・毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)(複製)・白傘袋(復元)
朝倉家では、永正13年(1516)に、4代孝景が初めて毛氈鞍覆・白傘袋の使用を許されました。
これは朝倉氏の将軍への軍事・経済面での奉公が認められたことを意味するもので、これ以降、朝倉氏は御供衆・御相伴衆へと家格も向上していきました。
複製品は上杉謙信所用と伝わる毛氈鞍覆(上杉神社蔵)を参考に製作しました。
伝世品は、当時貴重だった輸入品の赤い毛織物(羅紗(らしゃ))で作られており、絹糸の房が縫い付けられています。
白傘袋は白麻布製で、武家故実書に書かれる材質や寸法・使用方法などをもとに復元しました。

京都の町並を描いた洛中洛外図屏風には、足利将軍によって使用が許可される名誉の道具である毛氈鞍覆・白傘袋が描かれています。
将軍の邸宅(室町御所)前には、これらの使用を許された有力大名が訪れていることを示すように、毛氈鞍覆をかけた馬や白傘袋に包まれた傘を置いた従者が待機しています。
また、毛氈鞍覆をかけた馬を先頭に御所へと進む行列は塗輿の使用も許された一行で、輿の後に白傘袋を持った従者が続いています。

・朝倉長光写し(刃長53.0cm)
鎌倉時代後期の刀工・長船長光の作で、朝倉氏が所有した由緒から「朝倉長光」の名物銘が伝わる刀剣です。
実物は現存せず、刀絵図によってのみその姿が知られます。
この「朝倉長光」写しは、刀絵図をもとに復元したものです。長光は作刀期間が長く、乱刃や直刃など幅広い作風の作品を残したことから、伝世品も比較検討し製作しました。





















